幼い頃から、バターは特別でした。
冷蔵庫の隅にしまってある小さな箱を取り出して、そっと開ける。包んでいる銀紙を、そっとめくる。バターナイフですくったひとかけらを、ホットケーキの上にそっと乗せる……。
バターを扱うとき、子供ながらに、自然と動作のひとつひとつが丁寧になったものです。母親が大切にしている香水の瓶をこっそりと触っているときみたいに、ちょっとだけ大人になったような、上品で幸せな気持ちに包まれるのです。
そんな、魅惑の食品「バター」への愛が詰まった一冊をご紹介します。
まず、注目したいのはタイトル。『バターの本』と極めてストレートでありながら、この本の全てをはっきりと言い表しています。本当に優れたタイトルは、奇を衒ったり、副題であれこれ説明したりする必要もなく、強力な個性を発揮するのです。
幅の広い帯にはたくさんのバターのパッケージが並んだ華やかな写真が、これからこの本を開くことへの期待をかき立てます。ツヤツヤとした帯の質感とは対照的に、その後ろにちらりと見えるカバーは、シンプルなデザインに、すべすべとした優しい手触り。どこかバターを思わせます。
目線を下へ滑らせると、「おいしさに、うっとり。」というコピー。たった一言ですが、もはやこの本の佇まいに惹かれた読者に、ページを開く最後の一押しを与えるには十分すぎるほどです。
ここまでワクワクさせておきながら、いざページを開いて拍子抜けしてしまったらどうしよう……。そんな杞憂は、わずか数秒後、本編へ突入する前に吹き飛びました。表紙を開くと、銀紙のような本扉が目に飛び込んでくるのです。まさに、バターの包み紙そのものとしか言いようがなく、これが何の本か知らずに開いた人でも、一瞬でバターを連想することでしょう。
文字やビジュアル面での工夫だけでなく、素直に「モノ」としてここまで感覚に訴えかけることができるのか、と感動と刺激を与えられました。まさに、紙の本の限界を超えた瞬間ではないかと思います。この時点で、すっかり心を掴まれてしまいました。
日本に、そんなにたくさんのバターがあるの?
(表1側袖の文章より)
この本をつくっているとき、
100種類を超えるバターがあると話をすると
だれからもそんなことを言われました。
ほとんどの家庭では、近所のスーパーに置いてある、せいぜい数種類から十数種類のバターの中から選んだ、決まった商品を常備していることが多いのではないでしょうか。我が家も同様で、まさかバターにそんなに種類があるなんて……と衝撃を受けました。それも、日本のバターに限った話です。
「バターだけで一冊も書くことがあるの?」と思われる方もいるかもしれません。しかし、バターは生産地や、原料となる生乳の種類はもちろん、それがどんな乳牛から採れるものか、発酵させるかどうか、製法のちがいなど、出来上がる過程にも無限の分岐点があります。そのため、むしろ一冊だけでは足りないくらいなんじゃないか、とこの本を読んで考えを改めさせられました。
すべてのバターに対して、価格や成分、原料や買える場所など、細かいデータが掲載されているのはもちろん、「作り手オススメの食べ方・使い方」といった点も紹介されているため、より「実際にこのバターを味わってみたい」という気持ちにさせられます。
また、それぞれのバターのパッケージの魅力を最大限に発揮する美しい写真が並んでいるため、単にページをめくるだけでも、バター好きにとってはよだれが止まらないはずです。バターのことをより深く知れるコラムや、Q&A、さらにはバターのタイプ別索引など、図鑑要素だけにとどまらないボリューム。バター初心者への気遣いと、愛好家をも唸らせるこだわりのつまった、まさに作り手のバター愛が成し遂げた究極の一冊だと思います。
あつあつのご飯にバターとおしょうゆをたらり。
(表4側袖の文章より)
本書を読み終えたとき、きっと誰もが満腹感に似た心地よい幸福に満たされることでしょう。そして、バターを箱に戻すように丁寧に本を閉じ、本棚の少し高いところへ、大切にそっとしまうのです。
(文・望月竜馬)
『バターの本』
編:グラフィック社編集部編
発行:グラフィック社
ISBN:978-4-7661-3303-5