自宅で過ごす時間が増えて、一人でお酒を飲む機会が増えた方も多いのではないでしょうか。けれど、自宅ではお店のような雰囲気は出せないし、ついつい買ってきた惣菜と缶ビールで済ませてしまう……もちろんそれも一興ですが、時には料理やお酒に少しこだわって、上質な夜のひとときを過ごすのも良いかもしれません。
そんな夜に優しく手を引いてくれるのが、伊藤まさこさんの『ちびちび ごくごく お酒のはなし』。可愛らしい文庫サイズでありながら、シックな写真とざらざらとしたカバーの質感によって上品に佇み、そのギャップが大人の密やかな愉しみを思わせます。
内容は、お酒に合うレシピを始め、酒器にまつわるコラムや、お酒の街を訪ねた際のエッセイなど様々。そこには、伊藤さんの柔らかい文体でお酒の周辺を寄り道しながら歩くような、ゆるやかな時間が流れています。その寄り道が、ほろ酔い加減で読むのにぴったりで、何とも心地よいのです。
夏の夕暮れに、テラスで飲むスプマンテ。凍るように寒い冬の夜に飲む熱燗。わいわいがやがやとした店内で、ほろ酔い加減のおじさんに混ざりながら、ぐびーっと飲み干すホッピー。お洒落して出かけたレストランで飲むキールロワイヤル。秋の夜長にひとりで飲む、こっくりした赤ワイン。
「まえがき」より
お酒の場面は、いつでもこんな風にすぐ思い浮かべることができる。リラックスした楽しい時間。私にとって、なくてはならないのが、そんな時間なのだ。
お酒には、常に場所や時間のイメージがつきまといます。本書でも、伊藤さんがお酒と触れ合った様々な場所や、季節の野菜や果物を使ったレシピが登場します。あるページでは自分の記憶と重ね合わせながら、またあるページでは行ったことのない場所や飲んだことのないお酒に思いを馳せながら。本書はまるで、私たちを旅に連れて行ってくれる小さな列車のようです。
毎年、初夏が近づくと、そわそわしてくる。ベリーの季節がやってくるからだ。農園の人に熟れ頃を聞き、天気のいい日、友だち数人と連れ立って摘みに出かける。今日はラズベリーとすぐりが食べ頃とか。摘んでは食べ、食べては摘みを繰り返し、なかなかかごにたまっていかない。ラズベリーをたくさん食べる機会はそうそうないから、つい欲張りになってしまうのだ。
「ラズベリーとスパークリングワイン」より
お酒を飲む理由のほとんどは、単に喉が渇いたからではありません。人はお酒に、体験を求めているのです。それは、仕事の疲れを吹き飛ばすための煌びやかな刹那かもしれないし、自分と向き合うための静かなひとときかもしれません。場所やタイミング、一緒に飲む相手など、状況によって、もっとも美味しいと感じるお酒も変わってきます。振り返れば、色んな場所で、色んな人とお酒を飲んでいるでしょう。それらをひっくるめて、お酒は私たちの心に思い出を残していきます。
今はなかなか思うままに出かけることは難しいかもしれませんが、いつかまた好きな人たちと乾杯できる日を夢見て、本書とともにお酒との素敵な思い出をつくっておくのはいかがでしょうか。
(文・望月竜馬)
『ちびちび ごくごく お酒のはなし』
著:伊藤まさこ
発行:PHP研究所
ISBN:978-4-569-76153-4